戦後70年を過ぎ、戦争の記憶だけでなく、その痕跡も失われつつある。愛媛県松山市内の民家に残る戦争の痕跡も姿を消そうとしている。
 余戸中2丁目の森清一さん(80)の旧家を囲む土壁に小さな穴が10カ所以上あり、裏玄関には直径約5センチの穴が2カ所開いている。森さんによると、1945年5月ごろ空襲があり、爆弾の破片が当たった跡だという。一つは頭の高さにあり、「外にいたら死んでいたかも」と振り返る。
 森さんは当時、空襲警報で自宅前に掘っていた防空壕(ごう)へ一家で避難した。「(落下する爆弾の)風を切る音が聞こえ、それからズドンと大きな音がした」。爆弾は家の隣の畑に着弾し、深さ1~2メートルの穴が七つ開いていた。鉄の破片がバケツ2杯分集まり、機銃掃射の薬きょうも見つかった。近くで亡くなった人もいたという。
 明治時代に建てられた母屋とともに土壁は老朽化のため近々解体される。